ヒステリックな中学教師
Yさんの通う中学校には机を蹴り怒鳴り散らすヒステリックな中学教師がいました。Yさんの苦手な数学の教科を受け持ち Yさんの所属するバスケ部の顧問でした。不器用でのんびりしているYさんは、練習だけは怠けずに頑張っていましたが先生の日常的な言葉の暴力のターゲットとなっていました。Yさんは、後輩やクラスメートの前でもののしられたことがきっかけで仲間や後輩にもバカにされからかわれるようになりました。「トロイ」「のろま」「才能ない」仲間や後輩にも悪口を言われるようになりました。Yさんは、学校に行きしぶるようになり遅刻しながらの登校が続きました。
ヒステリックな先生は、若い教師より40代から50代の中堅教師に多いです。男性教諭より女性教諭のほうが、ヒステリックです。年齢的に更年期とかなのでしょうか?
PTA役員に選出された母親
学校に行きしぶる娘を心配しながらも「無理やり学校に行かせないとし不登校になってしまう」母親は、焦っていました。専業主婦だったので、時間がある暇人と思われたのか3年連続でPTA役員に選ばれていました。役員は、不登校であっても関係ありません。みんな面倒なことは誰かに押し付けてしまった方が楽なのです。自分はやらずに済ませるにはYさんは都合の良い存在でした。だから本部役員を会計も書記も副会長も母親委員も選出されていました。裏工作をする保護者によってPTA選挙でいつも票を集められてしまうのです。
あからさまな裏工作をする保護者に腹を立てながら責任感から雑務を一生懸命つとめる母親・・しかしヒステリックな担任教師とPTAの雑用に追われイライラを募らせる母親との間で、Yさんは居場所をなくしていきました。PTAの講演で聞いてきた話を嫌味のように説教するお母さん。二人ともボタンを掛け違えたように何度も衝突しました。母親のいらだちは娘につたわりヒステリックな担任との間で八方塞がりになっていたYさん。私は、シングルマザー(ひとり親)なので保護者役員は、免除してもらえます。でも選ばれる人の名前はほとんど固定です。一度もやらずに逃げ続ける人もいるのに・・不公平なものです。Yさんにたいして「洋服にお金をかける余裕なんて無いのよ」と怒りをぶつけるお母さん。Yさんは、「おかあさんが専業主婦だからPTAの役員がまわってくるんだよ?働きに行かないからPTAの役員回ってくるんだよ」とキレました。お母さんもPTAの仕事をしたくてしているわけではありません!平日の時間を拘束されるだけの雑用係です。家に介護の人がいない、家に小さい子(3歳未満)がいない、シングルマザーは、免除されやすい・・でも役員の経験がなかったり専業主婦は、選ばれやすいし断りづらい状況みたいです。
PTA役員に選ばれると講演会にも「さくら」として出席しなければいけません。不登校や学校に行きしぶる子どもに対しての対処法も聞けば聞くほどうまくいかなくなることが多いし簡単に克服できるわけではありません。そのことにYさんのお母さんが気づきPTA役員の任務が終わる頃Yさんの表情に変化が見られるようになりました。Yさんのお母さんは、今も専業主婦ですが3年連続で役員に選出されたので自分が副会長のときに役員に選出されたら2年間は同じ人を選出しないという規約を新たに作ってもらったようです。
部活の顧問に殴られたC君
サッカー部のCくんは、3人兄弟の真ん中。優秀な兄と出来の良い弟の間にはさまれしわ寄せがいきやすい真ん中っ子でした。サッカー部に所属していたCくんは、先輩や後輩とともに部室でボールをけっていました。タイミングが悪いことに顧問の先生が扉をあけ見つかってしまったCくんは、先生に殴られました。「明日からレギュラーをはずすユニフォームを返せ」と言われたこともCくんを落ち込ませましたが・・もっとショックだったのは、いっしょにボールを蹴っていた誰もが「自分もやった」と声をあげてくれなかったことです。
顧問の先生からは校長や教頭のはからいで謝罪がありましたがCくんは、学校の体面を気にしている「大人の事情」に幻滅し不登校になっていきました。母親も父親も不登校の原因やきっかけを探り時に自分たちを責め悩んでいました。学校に行けない息子に育ててしまった自分を情けなく思いながら・・学校が休みでも「親としてだらだらしない」「ちゃんとした子供に育てなきゃ」「3人兄弟の真ん中だからちゃんと育てなきゃ」と理想の母親をこなしてきました。
しかし自分の思い通りに育てようと思ってもCくんは、10のうち1つも思い通りにならなかったのです。しだいに目つきが悪くなり不良たちとの付き合いを経てどんどん変わっていきました。母親は、自分に厳しく自分の目標をたてて努力するのが好きな人でした・・努力し達成することに満足する自分のタイプをCくんに押しつけていたのも問題だったのかもしれません。そして非行に走る子どものことをどこかで蔑んでいるところがありました。Cくんは、母親に反発するように「親の顔が見たい」と指をさされるような言動が目立ち始めました。兄弟であっても母親の思い通りに育ったのは兄と弟の方で同じ子育てをしたつもりなのにCくんには、通じなかっただけなのです。母親は、「母親だからこうあらねば」という思想を捨てました。そしてCくんに自分の方法が合わなかったのではなくCくんを自分の理想の型にあてはめなければいけないという思い込みを捨てました。今でも学校には登校できていませんがC君の表情はやわらかくなりました。
不登校を改善する道は、閉ざされたわけでは無いと思います。