授業の遅れは、取り戻せる
中学生の娘が 不登校に・・
保育園小学校と友達のまんなかにいるような明るい娘でした。運動会でも、マラソン大会でも目立ち、自慢の娘でした。
中学に入学し、バレー部に入部しました。体調を崩したのがきっかけで1学期から学校を行きしぶるようになりました。お腹が痛い頭が痛いと体調不良を訴え夏休みが終わってから、学校に行けなくなり1年生から3年生にかけて家で過ごす不登校児になりました。
学校生活にも部活にも友達(人間関係)にも挫折してしまったようです。学校に行けば友達は普通に話しかけてくれる、先生も声をかけてくれる、でも居場所が見つからなかったのでしょう?思春期ならではの葛藤があったのかもしれません。中学1年生の文化祭も運動会も中学2年の宿泊研修も中学3年の修学旅行も、参加しました。親の私は、学校の行事だけ伝えて行くか行かないかは本人に決めさせていました。中学校の3年間、行事があるときだけ学校に出かけていました。周囲の親は、登校拒否の経験が無いせいか腫れ物にさわるような扱いでした。救いだったのは、娘を取り巻く友達が、普通に接してくれたこと。でも中学卒業まで行き渋りました。親が不安に思ったり焦ると子供にも伝わります。学校に行けないことに罪悪感を持っているのは娘自身だったのです。
親としては、子どもに何が何でも通学してほしい!と思っていました。どうして行けないの?行かないの?なぜうちの娘だけが、学校に行きたくない!と泣き叫ぶんだろう??何が悪かったんだろう?バツ一で、家庭環境にも原因があったのかもしれなません。父親はいないけど精一杯シングルマザーとして娘を育てなければ!という思いで頑張ってきたつもりでした。
どこでボタンをかけ違えたのか、何がきっかけだったのか?当時の私には、分かりませんでした。暗いトンネルの中で1人孤独に闘っている気分でした。思春期の心の中は、本当に複雑で掴みどころがありません。私が登校拒否を経験していたら娘の気持ちを少しでも理解できたのかもしれませんが残念ながら経験がないから娘の気持ちに寄り添うことができませんでした。
しかしあとになって思ったことは、私が苦しんでいる以上に娘も学校に行けない事に傷付いていたことです。無理やり登校させるのも逆効果だったのです。娘に笑顔が戻る日は親子の再生の日だと思い、実体験をもとに webサイトを開設することにしました。
家族の紹介 | はじめまして・・私の大切な家族を紹介します。 |
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(管理人の自己紹介)24歳で結婚25歳で長女「riko」を出産 28歳の時長男「riku」を出産 32歳のとき、夫の浮気が原因で離婚シングルマザーで月曜日から土曜日までパートで働いています。好きなことは、キャラ弁作り・・カラオケ・・周囲からは、明るいキャラと思われているみたい悩みを話す人が見つからない・・嫌いなこと活字・・分厚い本新聞を読むこと。
・・ある日突然娘が中学校に行けなくなってしまった・・原因も見つからず嵐のような日々娘と私の再生までの道のり。39才になりました。 |
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娘
息子 |
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リンタロウ(りん♂) | |
いつも私を励ましてくれるmy mother年齢より若く見える(一緒には、住んでいないけど私の良きアドバイザーママもバツイチ。 |